日米の金利格差拡大に合わせ昨年11月に1ドル150円を超えたドル円相場ですが、2週間ほど前から円安が再び加速して半年ぶりに1ドル=140円台を付けました。今私たち庶民を苦しめている物価上昇の主因であるこの「円安」はいったいどこまで進むのでしょうか?
自分は金融市場の専門家ではないので「今後の相場動向の予想」ようなことはしませんが、一応「経済」が専門なので非常に気になっています。そこで自分の頭の中を整理する為にも、今回は「ドル円相場の歴史」をまとめてみました。
ドル円相場の歴史Ⅰ ~戦後から1970年代初頭
米国主導で作り上げられた国際経済の基礎
第二次世界大戦で連合国側の勝利がほぼ確実になった1944年になると、米国はニューハンプシャー州ブレトンウッズで国際通貨金融会議を開催しました。そこで米国は、「ドルと金の交換レートを“金1オンス=35ドル”とし、これを保証する」と宣言したのです。そしてこれを基に英国のポンドやフランスのフランなど各国の通貨とドルと交換レートを調整したのです。こうして戦後の国際通貨・金融システムの基礎となった「固定相場制度」が始まったのです。いわゆるこれが「ブレトンウッズ体制」です。これは現在のような市場の需給バランスでレートが決まる「変動相場制」ではなく、当事国政府同士でレートを決めるものです。
その後、同じ1944年に国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(現在の世界銀行)が設立され、戦後の国際経済の基礎が出来上がったのです。
※国際通貨基金 (IMF)→各国の通貨安定と国際決済の支援を目的とする組織
※国際復興開発銀行→戦後の復興や開発支援を目的とする銀行
日本の国際経済への復帰
戦後の焼け野原から徐々に復興してきた日本ですが、1949年になると当時日本を完全に統治下に置いていたGHQ(連合国総司令部)は日本も国際経済に復帰できるよう「1ドル360円」という固定為替レートの設定を発表しました。なお、一般的にこの1ドル360円のレートのことを「ドッジ・ライン」と呼んでいます。このレートは現在のほぼ1/3ですね。きっとこの時代を覚えているのは60代以上の人でしょうね。
その後1970年代初頭まで20年以上も、この基本1ドル=360円という時代が続きました。そのため、自分が子供だった昭和30,40年代は「輸入品=高級品」で自分たち庶民には“高嶺の花”だったのを思い出します。
ブレトンウッズ体制の崩壊と円高の進行
しかし、1950-60年代にはアメリカとソ連との間の冷戦は激しさを増し、その結果アメリカの軍事費は増大し続け、遂に1971年にはアメリカは「ドル金交換停止」を発表(=ニクソンショック)し固定相場制度を維持することをあきらめるのです。こうして30年近く続いたブレトンウッズ体制は崩壊してしまうのです。
こうした世界の大きな変化の中で、ドル円相場は急激に円高へとなっていき、1ドル=360円という超円安によって支えられていた輸出産業を軸とした日本の高度経済成長時代は終了してしまうのです。
ドル円相場の歴史Ⅱ ~1970年代初頭から1990年代中盤
これ以後の日本は変動為替制で円高・円安に一喜一憂しながら、国内産業の生産基盤の転換を図らなければならなくなったのです。まっ、未成年から成人になったようなもので、世間(国際社会)の荒波にまともに揉まれるようになったわけです。
輸出に支えられた高度成長からの現地生産へのシフト
そのような流れの中でドル円相場は、あっという間に「1ドル=360円」から2年後の1973年には「1ドル=260円」へと3割も高騰するのです。しかし、1973年秋には「オイルショック」が発生し、日本経済は大打撃を受け、為替相場も300円近辺までドル高円安になりますが、1970年代半ばからは再び円高傾向に戻り、1978年末には180円まで円高は進行するのです。これは、たった7年でドルに対する円の価値が2倍になったということです。
その後は、ソ連のアフガニスタン侵攻などの地政学リスクによるドル高など様々な国際情勢の変動の影響を受け、ドル円相場は160~260円のレンジで推移していたのですが、1985年にはG5による巨額な米国の貿易赤字を減らすこを目的としたドル安誘導政策が合意(=プラザ合意)されると再び急速に円高が進み、1988年には1ドル=120円まで円高が進行しました。その結果、日本政府は円高不況の対策として超低金利政策を推進したのですが、これがあの「バブル景気」を生み出すことになるわけです。
その後、日経平均株価は1987年に史上最高値を付け事実上バブル景気は終わるのですが、景気変動の影響が如実に実体経済に現れて来るまでには時差があるため、ドル円相場も本来ならば日本の景気後退とともに円安になるはずなんですが、「バブル景気はまだ終わっていない」という淡い期待の下で1990年前半には再度円高が進行し、1995年には遂に一時79円70銭という史上最安値(円高)を付けるのです。
ドル円相場の歴史Ⅲ ~1990年代後半から現在
バブル経済の崩壊後の不景気と円高という二重苦
しかし、1990年代後半には官民一体で隠し続けていた銀行の不良債権問題が拡大し、金融機関の破綻が相次ぎ、完全にバブルは崩壊し国内景気は戦後最悪の状態になります。こうして日本経済は長ーい長ーいトンネルに入るのです。一方、そのころ世界はというと・・・、中国は急速に資本主義化が進み安く豊富な労働力を武器に「世界の工場」と呼ばれるまでに成功を収め、米国は製造業からITC産業への転換に成功しITバブルの恩恵を享受していたのです。また、ヨーロッパ各国も着々と冷戦終結後の新体制作りを進めていました。
そのような中、ドル円相場はというと、2008年のリーマンショック後の一時期を除き30年近く100‐140円という狭いレンジで推移していたのです。
世界中の空気を一変してしまったコロナパンデミックとウクライナ戦争
ところが2020年になるとコロナが世界中で大流行し、世界経済は大打撃を受けます。特に「世界の工場」中国は、最後まで「ゼロコロナ政策」を堅持したため日本経済は大きな痛手を負いました。さらに悪いことに、翌2021年にはロシアによるウクライナ進行が起こりエネルギー価格が急騰します。この二つの出来事は「地球温暖化問題」「食料不足問題」と相まって、世界中の投資家たちに今後の世界経済の枠組みの変化を確信させてしまったのです。その結果、「少子高齢化」という根本的な問題を抱える日本経済の先行きに疑問を持ち出したのです。
日米の金利格差を発端に始まった今回の円安ですが、自分は本当はもっと根の深い円安進行のような気がしますが・・・。















